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亀井神道流 西日本吟詠会の由来

「亀井神道流」の源流は、黒田藩儒学者、亀井南冥・亀井昭陽父子の「亀井流」。

「甘棠館=かんとうかん」で同流を学んだ秋月黒田藩の儒学者で、藩校「稽古館」教授の原 古処に師事した吉村元紹(もとつぐ)は、その子、吉村半乃丞(吟号、東陽)に6歳の頃から、剣道と詩吟を伝授。東陽師は、幼児より学んだ詩吟で頭角を現し、大正10年、秋月を皮切りに吟詠指導を開始。昭和4年5月、顧問に頭山 満翁を迎え、西日本吟詠会の前身西日本吟道会を設立した。昭和6年には、NHKラジオで全国放送を行い、昭和7年には、、吟道教本「吟嘯集」を出版、以後31版を数えた。戦前戦後を通して、吟道の指導と普及に邁進。期するところがあり「亀井神道流」を創流、第一世宗家に就任。その後の活躍は目覚しく、西日本吟界の草分けとして、又、伝統的な吟詠家として、その功績は高く評価されている。

 本会の戦後の歴史を語るとき、太宰府天満宮西高辻信貞先代宮司と故半田晃陽理事長を忘れてはならない。信貞宮司と吉村宗家は、戦後始めた「日の丸運動」を通して親交があり、本会の顧問就任を仰いだ。昭和33年11月3日、文書館に特製額入り国旗を寄贈。同館で再三開催した吟詠大会会場を提供していただく等物心両面で温かいご厚誼を頂戴した。昭和45年には、信貞宮司の要請により、神官、巫女さんを中心に太宰府天満宮支部を開設、諫山岳陽師が指導に当たった。現在の信良宮司には親子2代に亘り、本会の顧問に就任していただいている。又、創立75周年大会に際しては、信良宮司から記念として演台クロスに「誠」と揮毫していただいた。

 故半田晃陽師は、復員後、日本経済復興協会九州事務局長の傍ら、本会の「愛吟同好会支部」を設立、理事長として会の運営に尽力すると共に、飛永・諫山・豊福等、後の本会を担う人材を育成した。本会では、昭和43年11月に吉村宗家吟道50年大会を、昭和52年9月に吟道60年大会を、同60年4月に吟道70年大会を開催。吉村宗家は、昭和61年2月14日逝去。

 第二世宗家は、宗家の甥に当たる廣澤尚陽師が継承。平成11年11月、本会創立70周年記念大会を開催。平成14年9月、廣澤宗家の突然の死去に伴い、翌15年1月、諫山岳陽師が第三世宗家を継承、平成16年11月、その披露を兼ねて、諫山宗家は、吉村宗家と同郷で、入門以来直接指導を受けた愛弟子であり、廣澤宗家とも同郷の間柄で、両宗家から生前より流儀の継承と会の将来を托されていた関係での就任となった。

 対内的には、西日本吟道会を発展解消後、新生西日本吟詠会を結成以来、諫山岳陽師の指導の下、組織の拡充と、教材・研修・大会・会報など諸制度の抜本改革に取り組み現在に至る。本会の大会は、春季竸吟大会を昭和37年から47年連続、秋季懇親吟詠大会を昭和44年から41年連続、和歌朗詠大会は平成2年から24年連続で開催、又、毎年秋には、奥伝・皆伝昇伝審査大会を開催している。対外的には、歴代宗家から関係の深かった日本吟道奉賛会をはじめ、日本吟詠総連盟、福岡県吟詠剣詩舞連盟、九州吟剣詩舞道連盟、ポリドール吟詠会等の各団体に加盟し、本会から主な幹部がその活動に参画している。特に、地元福岡県吟詠剣詩舞連盟及び日本吟詠総連盟には、昭和63年11月、当時の理事長立石松律先生時代に永津嵆山先生(平成22年3月ご逝去)のご尽力で加盟できた。又、各連盟吟士権大会をはじめ、毎日吟士権、西日本吟士権、レコード会社主催竸吟大会等に出場し、輝かしい実績を残している。

毎年3月に催される太宰府天満宮「曲水の宴」に、朗詠者として参宴、「秋思祭」では、「秋思の詩」を献吟している。

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